vol.04
日本人だからこそできる
タブラの演奏をしないともったいない
U-zhaan(ユザーン)
- Profile
- インドの打楽器タブラを奏でる日本人、U-zhaan(ユザーン)。テレビ番組『ヨルタモリ』や『題名のない音楽会』で、そのインパクトある演奏姿を見た人も多いのでは。丸いエキゾチックな楽器・タブラとの出会いや始めたきっかけ、楽器についてなど興味深いお話をうかがった。
インドの太鼓タブラ
出会いは地元のデパート
——最初に、ユザーンさんが音楽を始めたきっかけを教えてください。
普通に小学校の音楽の授業という感じですよ。市の合唱団にも入っていましたね。ソルフェージュなんかもやっていたので、あれも音楽経験かな。友達と遊びで受けた入団試験に受かってしまったという経緯ですが。
中学のときは吹奏楽部でユーフォニアムをやっていました。これも、どうしても入りたくてというより、部活には強制的に加入しなければならないから消去法で選んだという感じで。でも、今もライブでアルトホルンという似たような金管楽器を吹くことがあるので、結果的には役に立っている経験です。
——どんな音楽が好きだったんですか?
小学校のときはファンクラブに入るぐらい、ビートルズが好きでした。父親のCDラックに『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』というアルバムがあったんですが、そういう名前のバンドだと思って“このバンドやばい!”って聴いていたら、ビートルズだったという。ファンクラブから送られてくる毎月の会報を、穴が開くほど読んでました。
——ビートルズの影響で何か楽器を弾いてみたことはなかったんですか?
ギターは弾いてましたよ。家にあったフォークギターとか。エレキも買ったりしましたが、適性がなくて、全然上手くなりませんでした。
——タブラとの出会いはいつだったのでしょうか。
18歳、大学1年生の夏休みですね。家の近所のデパートの催事場で、民芸品展をやってたんです。その民俗楽器のコーナーにあった楽器です。丸くてかわいかったので、部屋に置いてあったらいいかなって、叩き方どころか、どんな音が出るのかすらわからないまま買いました。
——衝動買いだったんですね。失礼ですがおいくらだったんですか?
29,800円だったんですけど、「ここ、へこんでるから25,000円にして」って言ったらあっという間に値下げしてくれました。「もっと安く言えばよかった……」と帰りながら思いましたよ(笑)。テレビで見たことがあったぐらいの楽器だったわけで、衝動買いにしては高いですよね。当時の全財産でした。
——叩き方はすぐわかったんですか?
しばらくパカパカ叩いてみたりしてたんですけど、本当はどういう音がするのかとタブラソロのCDを聴いてみたんです。“ソロ”と書いてあるけど、あまりにいろんな音がするので、「このふたつの楽器からそんなに違う音が出るわけもないし、これは何か別の打楽器アンサンブルの演奏で、クレジットが間違って記載されているんだろう」って勝手に納得してました。でもその後映像で見たら、本当に1セットのタブラだけで全部の音が出ていることがわかって。「この楽器おかしいだろ!?」って、これはちゃんとやってみたらおもしろいかな、と。
今でも毎年インドで修行!
——練習は独学でやられたんでしょうか。
映像を見たら、これは一人では演奏できるようにはならないと思って、当時、普及しはじめだったインターネットを使って先生を探し、日本で習い始めました。その1年後の大学3年生の1年間を休学して、インドにタブラを習いに行きました。
——出会ってからはあっという間の行動だったんですね。
どの楽器でもそうだと思うんですが、先人たちが頑張って発展させたメソッドや奏法があるんですから、出だしの過程は習ってしまったほうが絶対早いです。ましてや僕はインド人のように1歳やそこらから始めているわけじゃない。最初から遅れを取っているんですから、その遅れをなんとか取り返したいと思ったんですよ。まぁ、いまだに取り返せていないんですけれど。
——インドにまで行くということは、将来プロ奏者としてやっていくという覚悟が必要だったのかと思うのですが。
やっている人がほとんどいない楽器だったということもあって、叩き始めて1年もしないうちから演奏の仕事がもらえるようになっていたんです。いろいろと運もよかったんでしょうね、知り合いに紹介されたり広がっていって。上手くさえなればこれで生活ができるかもしれない、だからこそインドに行ってちゃんと勉強しようと思ったんです。
——それにしても、いきなりインドというのは、周りの方に反対などはされませんでしたか?
最初はまぁ。「大学を卒業するまでに普通の大卒の初任給ぐらい稼げるようになっていなかったら、タブラはやめるから行かせてくれ」と親に頼んで。結局その約束は全然守れませんでしたけどね(笑)。
その後も自分への投資と思って、親から借金をして毎年インドへ修行に行っていました。借金は数年前にやっと全部返しましたよ。今でも毎年2〜3か月はインドに行っています。
本場と違うハーモニーをタブラで奏でる独自の奏法
——タブラは、インドではどういった楽器なのでしょうか。
インドで小さい子が最初に習う楽器といったら、タブラなんじゃないかな。日本でピアノを習うのと同じ感覚。それぐらい一般的な楽器です。
いろんな形態で演奏される楽器なんですが、一番基本となるのは北インドの古典音楽での伴奏。もともとはソロ用として開発されたんですが、伴奏に使われるようになってメジャーな楽器になっていきました。通常は大小ふたつで演奏します。
——ユザーンさんは一度にたくさんの楽器を演奏していますよね?
僕がCD(2014年リリースの『Tabla Rock Mountain』等)でやっているような、周りを全部楽器で囲んで演奏するようなことは特殊奏法で、インドでやる人はまずいません。タブラは、例えばA♯の音に合わせると5音下のCがハーモニクスで出ますし、チューニングを合わせて複数の楽器を使えばメロディやハーモニーが演奏できるんです。でも、何しろ手はふたつしかないので、ライブでは2音しか一度には出せませんけどね。矢野顕子さんから「タブラは楽器ひとつで鍵盤ひとつ分の音しか出せないけど、私(のピアノ)は88鍵盤もあるのよ〜」なんて言われたことがあります(笑)。
——インド音楽では、タブラは2音より多くは出さないということですよね。
そもそもインド音楽にはハーモニーの概念がなく、リズムとメロディ、ドローン(通奏)のキイがあるぐらいです。
——それなら、インドの方がユザーンさんのハーモニー感のある演奏を聴くとびっくりされるでしょうね。
今のところ、そういう演奏はインドでやっていないんです。自分の先生にすらCDも聴いてもらっていません。聴いたらおもしろがってくれるとは思うんですけどね。
インド音楽がすごく好きですし、タブラ奏者としての能力を上げるためにも、インドではインド音楽をやります。インドにいると、師事しているザキール・フセイン先生やオニンド・チャタルジー先生のようなトッププレイヤーの演奏に少しでも近づきたいという思いが、圧倒的に大きくなるんです。
一方で、日本人として生まれて、インド人とは違う環境で、違う音楽を聴いて育った僕が、それをフルに生かした自分にしかできないタブラの演奏をしないともったいないとも思っています。
わかってもらえないからこそ“いい音”を目指す
——多くのアーティストの方と、独自性ある活動をしてこられていますね。
矢野顕子さんやハナレグミのような弾き語りのボーカリストの伴奏をするときも、環ROYや鎮座DOPENESSのようなラッパーのトラックを作るときでも、“演奏にあたって参考にできるタブラ奏者”がいないんです。そんなことをやるのはたいてい僕が初めてだから(笑)。だからこの楽器で何ができるのか、楽器は何個使ってどうアプローチするのか、大事に作り上げるようにしています。
——これからやってみたいこと、興味のあることはありますか?
南の島でマッサージを受けるのとかすごくやってみたいですが(笑)、音楽に関してだったら、一番興味があるのは“練習をすること”ですね。タブラがもっと上手く叩けるようになりたい
普通の人が聴いたら、3年前の僕の演奏と今の演奏の違いはほとんどわからないかもしれないし、もっと言うと15年前の演奏とも大きな差異は見つけられないかもしれない。遠い国の知らない楽器だし、音が出るだけでエキゾチックに聞こえちゃうんですよね。でも、演奏するほうがそれで満足してたらおもしろくないですから。少しでも上達して、少しでもいい音が出せるようになれたらと思います。
——本当にストイックに向き合われているんですね。ユザーンさんにとって、タブラの魅力とはなんですか?
音ですかね。この世界中でタブラからしか出ない音がいっぱい存在して、そしてその音はとても綺麗だと思っています。
——タブラをやってみたいという人にアドバイスをお願いします。
“すげー楽しいよー、すぐできるしー”って書いておいてください。いや、確かに実際はそんなにすぐできるわけじゃないと思うけど、気軽に触ってみてもらいたいので、多少の嘘は(笑)。まあ、誰でも簡単に演奏ができるようになる楽器より、音を出すのにすら、かなり時間がかかる楽器というのもなかなかおもしろいですけどね。